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4/16/2011

津波間一髪、防潮堤を過信 岩手の一家

東日本大震災
津波間一髪、防潮堤を過信 岩手の一家
毎日新聞 4月16日(土)2時32分配信

 3メートルなら大丈夫--。過去に何度も津波を経験してきた岩手県沿岸部は各地で高い防潮堤を整備するなど対策を進めてきた。地震発生直後に気象庁がこの地域に出した大津波警報は高さ3メートル。「高台に避難しなくても安全だ」と考えた、という証言が相次いでいる。

 岩手県大船渡市の南端に位置する碁石海岸で食堂「碁石観光ハイツ」を経営する、大船渡市末崎町西舘地区の村上有基さん(36)は地震発生時、母恵子さん(63)と食堂で休憩中だった。食堂の被害はなかったが、約2キロ離れた自宅に残した足の不自由な祖父の三郎さん(96)が心配になった。

 午後2時50分、乗用車に乗り込み、自宅に向かう途中カーラジオをつけると「大津波警報が発令され、宮城県沿岸には6メートル、岩手県沿岸には3メートルの津波が来る」と聞いた。自宅から300メートルほど離れた、泊里(とまり)漁港には高さ約5メートルのコンクリートの防潮堤がある。「3メートルなら防潮堤を越えることはない」と思ったという。食堂に引き返して、恵子さんを車に乗せ、午後2時55分ごろ、再び自宅に向かった。

 午後3時、自宅に到着。父征一さん(66)も戻っていた。台所の食器が何枚か割れていた。同様にカーラジオで「3メートル」と聞いていた征一さんが「津波はここまで来ることはないだろう」と言い、家族は室内の片付けを始めた。1960年のチリ地震津波など過去の津波で自宅は浸水せず、全員が「家にいることが避難になる」と思ったという。

 午後3時15分ごろ、恵子さんが、台所から自宅の少し下にある納屋の屋根が流されているのに気付いた。「津波だ」と叫んだ。村上さんは靴を取ろうと、玄関に向かった。ゴーゴーという音を立てて泥水が流れ込み、水はすぐにひざの高さまで。居間に戻ろうとしたが水圧が強く、動けない。何とか近くの階段にたどり着き、2階にはい上がった。水かさが増す。「3人はもう助からない」と思った。

 濁流は1階の天井近くまで達し、居間にいた3人はあっという間に水にのまれ、浮いてきたソファに夢中でしがみついた。天井と水面の50センチほどの隙間(すきま)に必死に顔を出した。水が引くまでの約10分間、恵子さんは「もうだめだと何度も思った」と振り返る。午後3時半。4人は間一髪で難を逃れたが、向かいの家は倒壊し、地区では3人が死亡、3人が行方不明になった。

 家族と避難生活を送る村上さんは、大津波にのまれる夢を見るようになった。「3メートルと聞き、被害は湾内の漁業施設ぐらいと思った。甘かった。初めから高台に避難すべきだった」。恐怖で目を覚ます度、そう悔やむという

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